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第四話 異世界転生先はロールプレイングゲーム?

last update publish date: 2026-08-23 14:14:03

 龍之介は、国立国会図書館やヴァチカンの図書館にも匹敵するほどの本が隙間なく収められた部屋で、異世界転生設定資料という名の物語カタログを読みながら、一人で考え込んでいた。

 天井近くまで伸びた書棚の間には、数え切れないほどの本が並んでいる。一冊を手に取り、内容を確認してから元の場所へ戻し、また次の一冊を開くという作業を、龍之介は延々と繰り返していた。

 いったい、どれほどの時間が経過したのだろう。

 部屋には時計がなく、窓の外から差し込む淡い光も、まったく変化していない。何時間も本を読み続けているはずなのに、腹が減ることもなければ、喉が渇くこともない。目の疲れも肩の凝りも感じず、眠気さえ襲ってこなかった。

 それは現在の龍之介が、人間という名の生命ではなく、肉体から離れた死者の魂であることを、何よりも明確に物語っていた。

「異世界へ転生し、チートスキルを持つ勇者になって、美少女たちを集めてハーレムを作る……。これはまた、孫たちが喜びそうな、異世界転生ライトノベルの典型ではないか」

 龍之介は手にしていた分厚い本をめくりながら、思わず苦笑した。

 本の中には、剣と魔法が存在する世界へ勇者として転生し、圧倒的な力で魔物を倒しながら、次々と美少女たちを仲間に加えていく人生が紹介されていた。孫たちが読んでいたライトノベルにも、似たような物語がいくつもあったことを思い出す。

「儂は異世界冒険物よりも、学園青春ラブコメの方が好きだったのだがな。儂の青春時代は戦争の真っただ中で、同級生の娘と放課後に寄り道をしたり、誰かと甘酸っぱい恋をしたりする余裕などなかった。今から学生になり、そういう青春をやり直すというのも悪くはないが……本当に一からやり直すことができるのだろうか」

 龍之介は本を閉じると、近くに置かれていた別の一冊へ手を伸ばした。

 転生先として用意されている設定は、本当にごまんとあった。

 学園で恋をする青春ラブコメ転生、可愛らしい妹に慕われる妹萌え生活設定、仲間とともに魔王討伐を目指す勇者冒険設定、一国の主となって天下を統一する設定、圧倒的な権力を握る独裁者設定、誰とも打ち解けられない非モテ根暗生活設定、人気ライトノベル作家を目指す生活設定、変わり者の妹と格闘の日々を送るシスコン生活設定、さらには宇宙全体の支配を目指す戦争設定まで存在している。

 恋愛、冒険、戦争、政治、日常、学園、歴史、宇宙と、考え得るほとんどすべてのジャンルがそろっていた。それらの中から自分が生きたい世界を一つ選ぶという行為は、まるでロールプレイングゲームを始める際に、舞台や職業、物語を選択しているような感覚だった。

 しかし、気軽なゲームと違い、その選択によって、これからの自分の人生すべてが決まるのである。面白そうだという理由だけで安易に決めるわけにはいかなかった。

 コンコン、と資料室の戸を叩く音が聞こえた。

「失礼いたします。龍之介殿、何かお困りのことや、ご質問はございませんか? これだけ資料が多いと、どれを選べばよいのか迷ってしまうでしょう」

 襖を開けて入ってきたのは、閻魔ちゃんの秘書を務める司録だった。相変わらず黒いスーツを隙なく着こなし、縁なしの眼鏡の奥から、書棚の間に座っている龍之介へ落ち着いた視線を向けている。

「いやはや、これだけの種類があると、秋葉原でゲームや同人誌を選んでいるようで、なかなか一つに決められませんね。面白そうなものが次々と見つかるものですから、読めば読むほど迷ってしまいます」

「そうでしょうね。龍之介殿にとって、ここにある異世界転生先は、ロールプレイングゲームの舞台を選ぶのと同じように感じられるかもしれません。しかし、忘れていただきたくないことが一つございます」

 司録は眼鏡の位置を指先で整えると、先ほどまでよりも少し真剣な表情になった。

「龍之介殿にとっては選択肢の一つであっても、その世界で暮らしている人々にとっては、そこが唯一の現世であり、紛れもない現実なのです。龍之介殿がどのような人生を選び、どのように行動するかによって、その世界に暮らす人々の人生も変化していきます」

「そう言われると、急に責任が重く感じられますな。単に好みの世界を選んで遊ぶというわけにはいかないのですね」

「もちろん、龍之介殿には龍之介殿の人生を自由に生きる権利があります。しかし、そこに暮らす人々も、考え、悩み、喜び、悲しみながら生きているということだけは、お忘れにならないでください」

 司録の言葉を聞いた龍之介は、手にしていた本の表紙へ視線を落とした。

 先ほどまではどの物語が面白そうかという視点で眺めていたが、これらの本に記されている世界には、実際に数え切れないほどの人々が暮らしている。その事実を意識すると、一冊一冊の本が、先ほどまでよりもはるかに重く感じられた。

 龍之介は腕を組み、深く考え込んだ。

 生前の龍之介は、歴史上の出来事に「もしも」を加え、その先にどのような未来が生まれるのかを考えることが好きだった。なかでも日本史に関する歴史のIFを思い描くことは、長年にわたる楽しみの一つである。

 もし、あの戦いの勝敗が逆だったならば。

 もし、あの人物が死なずに生き続けていたならば。

 もし、あの決断が違うものだったならば。

 たった一つの出来事が変わるだけで、その後の日本はまったく別の国になっていたかもしれない。歴史書を読みながら、そうした可能性へ思いを巡らせた夜は、一度や二度ではなかった。

「司録殿、たしか過去の時代へ行くことも可能なのですよね?」

「正確には、龍之介殿が生きていた現世の過去へ戻るわけではございません。龍之介殿が知る過去と、よく似た歴史や人物を持つ異世界へ転生することになります。その世界にとっては、龍之介殿が過去だと考えている時代こそが現在なのです」

「なるほど。現世の歴史をそのまま巻き戻すのではなく、過去の時代を舞台にした別世界へ行くということですか」

「そのとおりです。ただし、選択できるのは、龍之介殿が生まれる以前の時代に限られます。ご自身がすでに存在していた時代を選ぶことはできません」

「私が生まれる前という条件があるのですな。それでも、日本史の大半は選べるということになりますか」

「はい。戦国時代でも、江戸時代でも、幕末でも、ご希望に近い世界をお探しいただけます」

 龍之介は、再び深い思考の中へ沈んだ。

 歴史のIFを好む者であれば、一度は考えるであろう大きな分岐点が、日本史にはいくつも存在する。その中でも龍之介が長年にわたって繰り返し思い描いてきたものは、三つあった。

 本能寺の変を阻止し、織田信長を生き延びさせること。

 伊達政宗が史実より二十年早く生まれ、天下を狙える時代に成長していたら、どのような活躍をしたのかを見届けること。

 そして、坂本龍馬の暗殺を阻止し、彼が明治の世まで生き続けていたならば、日本がどのように変化したのかを確かめること。

 この三つこそが、龍之介の考える日本史三大IFだった。歴史を好む者の中には、同じような想像をした者も少なくないだろう。

 本能寺の変を生き延びた織田信長。

 二十年早く生まれた伊達政宗。

 暗殺されなかった坂本龍馬。

 どの世界にも、捨てがたい魅力があった。

 龍之介は目を閉じ、自分が本当に会いたい人物は誰なのか、どの時代を自分の足で歩いてみたいのかを考えた。

 やがて、その胸の中に一人の男の姿が浮かび上がった。

 旧来の価値観に縛られず、新しいものを積極的に取り入れ、誰よりも早く天下統一へ手を伸ばした戦国武将、織田信長である。

 信長が本能寺の変で命を落とさず、そのまま天下統一を成し遂げていたならば、その後の日本はどのような国になっていたのだろう。豊臣秀吉や徳川家康が築いた世とは異なる、新しい日本が生まれていたのだろうか。

 長年抱き続けてきた疑問の答えを、自分自身の目で確かめることができる。それどころか、自ら歴史の分岐点へ立ち、本能寺の変を阻止することさえ可能なのである。

 龍之介の迷いは、そこで消えた。

「本能寺の変を止め、織田信長が天下統一を成し遂げた日本が、どのような国になるのかを見てみたい。それに私は、織田信長という人物へ実際に会ってみたい。書物の中でしか知らなかった戦国時代を、自分の足で生きてみたいのです」

 龍之介は自分へ言い聞かせるように、ゆっくりと口にした。

 言葉にした瞬間、それまで揺れていた考えが一つにまとまった。美少女たちに囲まれて冒険する世界にも、失われた青春をやり直す学園生活にも心を引かれたが、龍之介が本当に望んでいたものは、歴史の「もしも」を自らの目で確かめることだった。

「お決まりになりましたか?」

「はい。私が転生する世界は、戦国時代に決めました。本能寺の変を阻止し、織田信長の生きる未来を見届けます」

 龍之介は読んでいた資料を閉じ、乱れのないよう丁寧に整えてから、元の書棚へ戻した。

 それから司録の前へ立つと、迷いの消えた表情で告げた。

「司録殿、決まりましたぞ」

「承知いたしました。それでは、閻魔ちゃんの間へご案内いたします」

 司録に促され、龍之介は巨大な資料室をあとにした。

 二人は再び、薄暗い板張りの長い廊下を歩いた。一定の間隔で並んだ柱と襖の間を進むたび、足音が静かな建物の奥へ響いていく。

 やがて、見覚えのある大きな襖の前へたどり着いた。

 その向こうでは、美少女の姿をした閻魔大王が、龍之介の決断を待っている。

 龍之介は最後に一度だけ深く息を吸うと、司録に続いて閻魔ちゃんの間へ戻った。

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